無事(?)にライブが終わり、久々に休日を過ごしたような気分。
といっても、ついさっきまで寝ていたのだけど。起きたら夜だった。
さすがに今日はバンド練習がなかったので、夕方テレビを見た。
日本テレビ系の「バンキシャ」
虐待を受けた経験のある母親が子供やペットを虐待して死なせてしまった事件が紹介された。
高齢の男性コメンテーターの発言は、
「虐待を受けた人はまた子供に虐待する。
つまり親になる資格の無いやつが親になっているんですね。」
・・・って、それで終わりかよ。
ひどいコメントだな〜。
虐待を受けた人は、「親になる資格が無い」とバッサリ切り捨てられるだけ?
不幸が不幸を招いていることを放置するの?
このような事については、たぶん過去のブログでも何度も主張しているような気がするけど、今回も書かずにはいられない(苦笑)
「親になる資格がない」と、切り捨てられるだけでなく
犯罪者として処罰されるだけでなく、
立派な親になるためのプロセスを与えてあげられないのか?
親から虐待を受けたとき、どれほど寂しく辛い思いをしたのか。
そして、虐待を受けた人が親になり自分の子供に対して虐待をしてしまうとき、制御できない自分の心を自覚しながら、どんなにいたたまれない心境になっているのか。
ある犯罪者は「悪いのは私だけじゃない」とつぶやいたそうだ。
本人は正面から言いたくないだろうが、そんな「言い訳」にも耳を傾けてあげられないだろうか。新たな被害者を生まないために。
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このような「悪の連鎖」はいろいろな場面で存在する。
でも、大人は「結果責任」だから、と罰し罰せられるだけ。
それで良いのかな〜。
「悪の連鎖」に巻き込まれてしまった人は犯罪者になるべくしてなっているのに、世間は知らんぷり。そしてまた犯罪者とともに被害者を生み、それがまた犯罪者になったりもするのだ。たまったものではない。
傍観している世間は、「あいつはそろそろ犯罪者になるはずだ。もし、何かしでかしたら、罰してやるからな」と手ぐすねを引いて待っているだけなのだ。
池田小学校を襲撃し無差別に子供たちを殺した宅間死刑囚は、「“私たちは関係無い”と傍観している連中が一番憎い」と言った。
犯人を厳罰に処することとは別に
世間は、この言葉に耳を傾けるべきだと思う。
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1人の犯罪者がいると、その背景には、100人の犯罪者予備軍がいる。
ところで、
国の予算の使い道って、圧力団体や業界や議員の出身地方などの利益の引っ張り合いばかりで、少数にはなかなか目を向けられないね(ライ予防法の撤廃までずいぶん時間がかかったし)。
でも、こと犯罪が関係してくると、少数を対処することで、多くの平和が守られるような気がするのは俺だけだろうか。
育った過程の、ある間違いが原因で、通常では考えられない精神構造になる場合がある。
いじめを受けた人は?虐待を受けた人は?家庭不在の少年が動物虐待に走ってしまったばあいは?性徴期に残酷な場面に遭遇してしまった人は?レイプされた少女は?
彼らを矯正する場は無いのか?
病気になった人は精神科に行くが、病的な状態じゃなくても、健全な心を取り戻すための場所は無いものだろうか?
国は(それを支持する国民は)道路やダムや橋を造ったりするのと同じように、彼らに人生の道筋をつけ、心の置き場を作り、社会との架け橋を設けられないものだろうか。
警察がうろうろして治安を守るより、誤った心を持つ人が少なくなるような社会のために国家予算を使えないものだろうかねえ・・・。
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ちょっと下世話な話になりますが、
先日、アダルトビデオの自主規制団体の「ビデ倫」の関係者が逮捕されたそうだ。
なんでもモザイクのかけ方が悪いのをビデ倫が認めたのが悪いとかで。
イチイチそんなものを検挙するために国家予算使わないでくれよ。
警察もビデ輪も、どちらもバカげている。
見えたから見えないからで、社会に悪影響あるの?
(法律がそうなっているから仕方ないけど)
そんなことより、犯罪性を肯定するような内容を問題にしないの?
レイプや虐待や痴漢を誘発するような内容は自主規制するとかできないの?。
そんなのが表現の自由の下に肯定されて良いの?
※「表現の自由」を主張する作者は、倫理委員会の審査を受けなければ良いのだから「ビデ倫」が自主規制することは、まったく違法にはならないはずだし。
ホラー作品の場合は、受け取り方の問題こそあれ、「うわ〜、怖い怖い」という感想を持って見終わるわけだから。つまり、健全な精神を持っていれば、自分も残酷なことをしようとは思わない。残酷なことは「怖い」と思う。だから大人になってから見る分には問題ないような気がする。
でも、アダルトビデオにおけるレイプや虐待シーンを売りにする作品には、それをみて性的に興奮する人がいるという決定的な違いがあると思う。潜在的にその兆候がある人を駆り立てているのではないだろうか。
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ちょっと論点はズレるけど
鬼薔薇事件の少年は、疑似家族の中で成長過程をやり直し、健全な精神を取り戻したという。
正確な記憶ではないが、たしか、彼は、家庭不在の中で寂しさを埋めるかのように小動物虐待に走った。そして、ちょうど性が芽生える時期を迎えた。健全な少年なら性の対象は、未だ見たことのない女性の裸などに神秘性を重ねて向けられるものだが、彼は残酷な行為をしては射精していたという。被害者の少年を殺しながらも射精していたという。つまり動物を殺すことに性的な興奮を覚える精神構造になっていたのだ。
彼の矯正過程では、疑似家族の中で親の温かさを体感してもらうとともに、性の対象を健全な女性に向けられるように、成長を「やり直し」したという。
彼ほど歪んでいないにしろ、相手が嫌がることをしていながら自分は喜ぶという性的倒錯者は多い(主に男性)。乱暴で征服欲が強く、最近では、性行動以外に対しても、ふざけ半分で「どS」などと呼ばれるが、俺には、どうしても納得できない。「S」(サディズム)の語源となった「サド公爵」が見え隠れするようでとても不快だ。
テレビでは、いじめに近い罰ゲームやら、後輩のお笑いタレントを騙して笑うシーンがゴールデンタイムに垂れ流しだ。こういうものを子供の時から見せられてきたら、そのことに罪悪感なんて覚えないのだろう。万が一ふざけ半分であっても「どS」なんて行動は、不愉快極まりない。
こんなテレビを見て育った世代は、大人になってテレビ番組を作るときに、きっと過ちを犯すに違いない。
厳しい罰ゲームやら、どっきり(カメラ)やら、弱い者イジメなどで視聴者の笑いが取れると思い(実際にそういう需要が作られているし)、そういうバラエティ番組を作ってしまう。
罰ゲームを受けている人を見て楽しいの?
騙されている人を見て、笑えるの?
弱い者イジメが嬉しいの?
悪の連鎖によって、こういうことが当たり前の文化になってしまうんだ。
アダルトビデオだけじゃなく、
テレビ番組においても、倫理的な自主規制をしてほしいな(多少は何らかの決まり事があるのかもしれないけど)。
子供が見る時間帯のテレビ番組で罰ゲームやイジメや騙しを無くすとかね。
なんだか、話しが広がりすぎて、まとめれなくなった(苦笑)
でも、俺の言いたいこと、誰か、分かるかな?
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